高田賢三氏のプレタポルテよりも、とても失礼な話だがその浮世離れした ”Party Animal” な豪遊ぶりに興味があり、憧れていた。申し訳ないが現在 ”パリピ” とかいう下品な日本語で形容されているそれとは全く次元・格・服装が違うことをお断りしておく。
70、80年代のパリのPimm’s、Le Sept や au Palace、ニューヨークのStudio 54、グレイス・ジョーンズやアンディ・ウォーホール、シャンタル・トーマス、ジェーン・バーキン、ソニア・リキエル、ティエリー・ミューグレー、山口小夜子、ジュンコ・コシノ、加賀まりこ、石坂浩二、世界の名だたる”Party Animal” 達との一般常識や良識や社会通念や世間体や法律を超越したパーティ交友録が一部文献として残っており非常に面白い。
文化服装学院在学中に装苑賞を受賞した彼が、多摩美術大学に通う三宅一生氏とバチバチのライバルだったが60年代中期にパリで再会し意気投合して二人して夜遊びに繰り出し、ある日思い立って二人で車でアムステルダムに向かいバーやディスコで遊び狂ったという逸話はジャンルは違えど今の自分の生き方に重なるところがあり勝手に親近感を感じている。
堺正章やムッシュかまやつ、内田裕也と飲んだくれた話、マルシャル・レイスの弟ジルを通してアンディ・ウォーホールに会い、NYマンハッタンのStudio 54での狂乱の日々、アンディが死んでしまい肖像画が未完成のままの話、逸話を書き出したら切りがない。
彼の80歳を祝う誕生日が去年のParis Fashion Week期間中にパリで最も古いレストランの一つでもあるPavillon Ledoyenで開催され、いささか同窓会のようなメンツだったらしく、クライマックスではプレゼントにキラキラのリボンを施したバカでかい箱からほぼ裸のグッド・ルッキン・ガイが二人登場するという、”当時”を彷彿とさせる演出など朝4時まで盛り上がったとのことだ。なんて幸せな80歳なんだ。
数ヶ月前に逝った山本寛斎氏もそうだが、世界を己のデザインで黙らし、更にこんなジャポネが当時から世界の強豪達にタメでダンスフロアで余裕で腰を振って(時には全裸で)踊り、命懸けで遊んでいたからこそ、今のジャポンが文化的にもファッション的にも認められていることを絶対に忘れて欲しくないし、もっとわかってもらいたい。バックステージでの彼らはランウエイで華やかにキャットウォークをキメるモデル達よりもド派手に生きていた。そしてそこに文化・芸術があるのだ。高田賢三様のご冥福をお祈りいたします。
No comments:
Post a Comment