Thursday, July 01, 2021

思い出・記憶・追憶の午前三時

先日、片付け中に無骨な木のフレームに収まる着物を纏った愛娘の2005年ごろの日本出国直前に撮影した写真が出て来た。今年18歳になる娘を愛おしく想いながら容赦なく経過していく時間の早さに唖然としつつガラスに付着した埃や指紋を拭き取ろうとフレームを開けたら、私の人生を実に象徴するとても意味のある五枚の写真が出てきた。

愛する娘の幼い頃の写真を筆頭に、次に出て来たのが90年代インドで乗り回していた愛車エンフィールドとのニューデリー・パハルガンジでの写真。10年ほどインド出入国を繰り返し東西南北バイクで走り通した結果インドにうんざりし嫌気が差し、バリ島移住直前に愛車との写真が一枚もないことに気づき慌てて撮った最初で最後の記念写真だ。あれだけ乗り回したのに、写真がこれ一枚しかない。

次が91年だろうか、60年代のモッズ・スーツやペンシルバニア州のアミッシュを意識して素材やサイドベンツの長さや襟の切り返し、ボタンの数やポケットの位置と何から何まで徹底的に拘って仕立てて貰い、祖母に買ってもらったスーツを着て嫌がる私を振り切り父が強引に撮影した成人式出席直前の写真。

その次が1989年、18歳の誕生日を迎えてから人生で初めてのタトゥを入れた直後、先生がいない時を見計らい高校の職員室のコピー機にシャツを脱ぎ寝そべって腕のタトゥを直接当てて撮ったコピー画。

そして最後五枚目に出て来たのが写真ではないが、馬に跨ったネイティブアメリカンの勇者が荒野を抜けるイラストが施されたバースデーカードだった。

とある女性がこの木製のフレームにこのバースデーカードをセットアップ、さらにご自身ミックスのカセットテープを添えて当時17か18だった私の誕生日にプレゼントしてくれたのだ。学校こそ違ったが、ある時期ほぼ毎週のようにそのコとミック・ジャガーやプリンス、デニス・ホッパー、ジム・ジャームッシュの映画、ジーンズや古着の話で盛り上がった。お互いに惹かれていたのは確か(と信じたい)が、残念ながらお付き合いには至らなかった。

月日は経ち私も彼女も日本を離れお互いのコンタクトも失いさらに時は流れ彼女は米国、私はフランス国に流れ着き、再び連絡がとれるようになったのはおよそ20年後お互いをSNS上で発見して以来だ。
それからさらに10年ほど経った今、30年以上前にいただいたそのフレームと五枚の象徴的な写真を前にして追憶にふけながら気づいたのが、私はなんと実りのある幸せで豊かな人生を歩んできたのだ、ということだ。
波乱万丈。イキがったりビビったり、苦しいことや辛いこと憂いも痛い目にもたくさんあった。しかし、そういったものを乗り越え、当時ツルんでいたその人物と今でも時空を超えた深い友情を育み、繋がっていられることのありがたさ。
大成功し、幸せ感満載の他の旧友たちのSNS上の眩い投稿を見る度に自分の惨めさと比較して落ち込み、ドツボにハマっていたが、こうしてみるとどうやら私は自分が思っているほど不幸ではないようだ。

私には二人の愛する子供たち、他の人がおそらく想像もし得ぬ類稀なる経験、そしてその女性をはじめとした世界中に散りギラギラと生きる友人達。これ以上何を求めよう?
フィリップ・K・ディックの著書「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を映画化した82年のリドリー・スコット映画「ブレードランナー」に登場するレプリカントたちはとりわけ思い出・記憶に拘り過去の記憶があってこその自己認識、自分が自分でいられるための能力としてそれを大切にしていた。思い出・記憶。

万一事故にでも遭って頭を打って不意にそんな自分の大切な記憶が全て無くなってしまったらと思うとゾッとする。
私は不意に足元に無造作に転がるボクシング用のヘッドギアを掴み、汗に濡れてまだ乾かぬ緩みかけた紐を固く結び直し、果たしてこれから自分がどんな思い出・記憶を加えていくのかを想像してほくそ笑んだのだった。人生そんなに悪くない。


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