1977年、スターウォーズの登場がハロウィンの概念を根底から覆した。
この年、全米の子供たちはベン・クーパー社から発売されていたスター・ウォーズ公認のコスチューム・セットを親にこぞってねだった。
それまでは男子の主流はドラキュラやフランケンシュタイン、デビルや狼男系の伝統的アメリカンホラー・キャラかバットマンやスーパーマン、スパイダーマン等マーブルやDCコミックキャラ。女子は魔女、ミッキーやドナルド、白雪姫などのディズニー系か何かしらのプリンセスが流行の仮装だったところに突然、スター・ウォーズなるSF映画がそのシェアを塗り替えてしまったのと同時に、仮装のクオリティを一気に高めるきっかけにもなった。
当然私も母の運転するベージュ色のフォード・ピントの助手席に飛び乗り、憧れの主役ルーク・スカイウォーカーのコスチュームを探し求めるのだが、地元のジェノヴィーズやショップライトやトイザラスはおろか、シアーズにもブルーミング・デールズにもどこにもない。C-3POやチューバッカなど、絶対に着たくないキャラは山積みなのにルークも第二希望のハン・ソロもストーム・トゥルーパーもどこにもない。
泣きべそをかく私に母は「今年は代わりに日本の剣道着を着ようか?」と絶望的なプランBを提案し、 帰り道に最後の希望を託して寄った5&10ストアで奇跡的に一箱だけ子供用Sサイズのルーク・コスチュームを発見した時の喜びやいかに。ごきげんになった私にはその時、運転する母の横顔がチャーリーズ・エンジェルズ初期メンバーで同じフォード・ピントを乗り回すケイト・ジャクソンよりも百倍美しく見えたのは当然のことである。
大喜びで家で試着したはいいがマスクのプラスチック素材の毒々しいケミカルな匂いに思わずむせかえる。さらにお面は大きすぎて目の穴が合わず、何も見えない。そこで母は視認性向上と呼吸性を高めるためにハサミで器用に目と口の部分を大きくトリミングしてくれた。
当日、どのクラスにもルークもダースもハン・ソロもレイア姫も数人ずつ居たのは言うまでもない。
ベン・クーパーは個人でニューヨークはハーレムの伝説のコットンクラブの舞台装置や衣装を元々手がけていたが、のちにディズニーとのライセンス契約を1930年代に結び、ハロウィン用のコスチューム販売を大成功させ、それがベン・クーパー社の設立のきっかけとなる。
50年代には主にスーパーマンや怪傑ゾロ、60年代には当時まだ誰にも知られていなかったスパイダーマン、翌年にはバットマンのライセンス契約をいち早く結び他社とのセールスを大きく引き離す。
そして次なるキャラクターを見抜く先見の明も鋭く、77年にスターウォーズ上映後直ちにルーカスフィルムとライセンス契約し、コスチューム・シリーズを大当たりさせる。
80年にはスター・ウォーズ「帝国の逆襲」の上映と合わせてさらに大繁盛、ところが待望の83年「ジェダイの復習」を迎える直前の82年9月に、全米を震撼させたタイレノール事件(米国で一般的な鎮痛剤タイレノールが青酸カリにすり替えられ多数の死亡者が出た事件)が悲運にも起こり、子供たちが手当たり次第に他人からお菓子を貰い受けるハロウィンはあまりに無防備でリスクが高い、と恐怖に怯えた親たちによりハロウィンの行事自体がその後数年単位で下火となっていく。その影響をまともに受け、結果倒産してしまう。
ちなみに91年に上映された映画 Point Break (邦題: ハートブルー)でパトリック・スウェイジらが扮する、歴代大統領の覆面を被った銀行強盗団の有名なシーンがあるが、ここで使われた覆面はベン・クーパー社製であることも知っておいて欲しい。特にニクソン大統領の覆面は60年代からコンスタントに売れ続けた大ヒット商品だった。
今でこそ当時のベン・クーパー社のコスチュームが懐かしく、ヴィンテージ品目として高額に扱われているのをたまに見かけるが、毎年この時期になると、あの強烈なマスクの匂いの記憶が蘇ってくる。写真を見てもわかる通り、幼少の私がお面を上にずらしているのはその匂いゆえ。
時は経ち2010年、長男が10歳のハロウィンでスター・ウォーズに登場する賞金稼ぎボバ・フェットに扮したいと。奇しくも私が1980年、10歳の時に扮した仮装である。私は喜んで息子のボバ・コスチュームを製作した。そして一本の作品に親子で取り憑かれているその事実に思わず劇中の台詞を呟くのだった、「The Saga Continues…」。
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