中学校の理科の教師がプルトニウムを盗み原爆を作って日本政府を脅迫する沢田研二主演・長谷川和彦監督の79年公開の映画「太陽を盗んだ男」の政府への要求の一つが「ローリングストーンズ日本公演」であり、また、歌手の西郷輝彦は歌謡曲「ローリングストーンズは来なかった」を発表する。ストーンズの来日はつまりそれほど幻と言われていたのだ、そんな時代だった。
なので90年の来日時には興奮し、本当にストーンズが演奏できるのか当日の暗幕が開くまでドキドキしながら私も当時のバンドメンバー全員で東京ドームの「スティール・ウィールズツアー」に出向いた。
個人的に好きなのは、69年に会場警備を請け負っていたヘルズエンジェルズのメンバーが黒人客を公演中に刺殺し、他にも事故死を含め四人の死者を出した世に言う「オルタモントの悲劇」の後の70年代のまるでミックが悪魔に取り憑かれているかの如くギラギラと妖艶にパフォームするいわゆる「黄金期」のストーンズだ。
そんなストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが逝ってしまった。
学生の頃ローリングストーンズの曲を一番聴き、一番コピーし、彼らを通して黒人音楽を学んだ私にはとんでもない喪失感である。(どなたかマイティ・シックスの音源を持っている方が居られたらどうかご一報ください)
メンバーの誰よりも清楚で温厚でお洒落でジャズメンでアンチ・ステレオタイプ・ロックミュージシャンで常識的なチャーリーだが逸話として有名なのはメンバー同士の仲が一番ぎくしゃくしている80年代に酔っぱらったミックから「おいオレのドラマーよ、どこにいる?」と電話を受け、まるで自身の所有物であるかの如く扱われたことにムカついて、髭を剃り、サヴィル・ロウのスーツを着込み、ピカピカに磨いた靴を履き、香水をつけてからミックの元へ出向き、会うや否や胸ぐらを掴み「二度とオレをお前のドラマーと呼ぶな!」とミックに右フックをかましたという話であろう。
しかしチャーリーはこの一連の行いを2003年の確かGQのインタビューで自身をアルコール中毒の暴挙として後悔の念を語っているのがまた実に紳士な彼らしい。
いわゆるストーンズらしさとは?その秘密は?キースのチンピラリズムギターに絡むロニー(もしくはミック・テイラー)のリード、ミックのシャウト唱法、ビルの存在感を消してるくせにウネるベース、チャーリーのスネアを叩く際にハイハットを外す引っかかるドラム、様式美、存在感・・・でも一番大事なのはおそらくその「黒っぽさ」、彼らの核となる黒人音楽からの影響に答えがあるのではないかと思う。
「The blues had a baby and they named it rock’n roll、ブルーズに子供が産まれてロックンロールと名付けた」とはまさにストーンズが死ぬほどカヴァーしたシカゴ・ブルーズの重鎮マディ・ウォーターズの残した言葉・曲で、69年に亡くなったブライアン在籍時の初期のストーンズは米国のブルーズ及びリズム・アンド・ブルーズのアーティストのカヴァーが多く、ストーンズの、いやロックンロールのルーツを知る上での「基本」であって、非常に貴重な音源である。
そんなストーンズ譲りのスリーコード、ブルーズ・スケールやペンタトニックを「基本」として育った私には、そういった黒人音楽からの流れを継承するロックンロールの基本的概念を敢えて無視して構築されている昨今のロックにはゲンナリすることが多い。「またこういうの?だから何?もういいって」と思ってしまうのだ。懐古主義?うるせえバーカ。
ジミ・ヘンドリクスはかつて、ギターを弾くに当たって何か座右の銘はあるのかと聞かれた際、こう答えた、「一般常識と独創性」。「モンスター」の異名を持つバンタム級プロボクサーの世界の井上尚弥は同じような質問に「基本」と答えた。
チャーリーが亡くなった今、ストーンズを聴きながらそんなことを思った午前三時だ。合掌。
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