Monday, January 06, 2014

Memory lane with Goro san, RIP


去年の暮れ、日本の友人数名より原宿のゴローさんの訃報が届いた。
1980年代後半、高校生だった私はバンドの練習がない日は毎週のようにゴローズに悪友のGとBBと三人で通いつめた。当時は並ぶ人なんていなかったし、店の前に今あるあの太い丸太もなく、プライマル塗装が無造作に施された当時のご自身の愛車陸王(フラットヘッド?)が停まっていただけだった。
客と言えばロボットやデプトの店員、青中出身の不良達、カメラマンにスタイリスト、ファッションモデル、オートバイ乗りと、普通にジョー山中や岩城滉一、山口小夜子お姉様等々まだ幼い私が憧れを抱くようなブラウン管の向こう側の華麗な方々がぶらっと立ち寄っていた。店の奥のソファーを偉そうに陣取っていた一番の若手だった我々は、その度に立ち上がって席を譲る。すると、ゴローさんが壁に掛けてあったサドルバッグより小銭を出しながら言う。「うんうん、ボク喉が渇いたから午後の紅茶とみんなのぶんも買ってきて、うんうん」と。もちろん私たちは喜んでその役を買ってでた。缶ジュースを啜りながら、"諸先輩方々" の談笑に聞き耳を立てる。そんな名もなき若き走り使いというポジションがとても居心地よかった。
ある日、悪友Gのアーリーショベルのケツに乗り表参道をナガしていると、店から発進するゴローさんと出くわした。大声を出して会釈すると、ついて来いと指で免れ、当然追跡。タンクの上に愛犬スノーを座らせ、ゆっくりと原宿の道を旋回するゴローさんを見た事がある方はおられるだろう。ところがその日我々に見せたゴローさんのランはまったくちがった。大渋滞の中、車の間を恐ろしいスピードで縦横無尽にすり抜け、歩道をも余裕で走り抜けるそのライディングはまさにハードそのもの。彼の自由すぎる背中からは確実に羽が生えて見えた。子供ながら、これがイエロー・イーグルか?!と、感動したものだ。環七と第二京浜でコールを切る大田区の族なんぞ足下にも及ばず。当然我々はそのペースについて行けず、途中で撒かれてしまった。この日のランは私のライディングスタイル、いやその後の私の人生にまで影響が及んでしまうことになる。ガソリンの香りと轟き音だけを残して彼方に消えた、ゴローさんの既成概念に捕われない法律をも超越してしまうそのランこそ彼の自由な生き方そのものであり、言葉を吐かずともスロットルを通して自由の持つ厳しさまでも教えてくれたかのような有無を言わさぬ説特力がそこにはあった。そしてなによりもそんなゴローさんがめちゃくちゃかっこよかったのだ。
混沌とし、有史以来のエポックな出来事が続くこの世界。あなたは自由に生きているか?あなたは本当に自由なのか?与えられた範囲の中で自由だと思い込んでいるだけではないのか?私は聞きたい。今の日本に真に自由な人間がどれほどおられるのだろうか?まるで自由を放棄し、自由を問うこともせずお上に無条件に隷属しているような人間ばかりである気がしてならない。私とて自信がない。しかし、自由を問う事に人生の本質があることをゴローさんをはじめとする諸先輩方々の生き様を見て気付かせていただいたことだけは確かである。だから私は絵を武器に闘う "武闘派" として、弱小ながらも自問自答を繰り返し、生きるのだ。
Mildred: "hey Johnny, what are you rebelling against?"
Johnny: "whadda you got?"
優しい鷲は今頃あの世でネイティブ・アメリカンの兄弟たちとパイプを回し、サンダンスを舞っていることと思う。自由に。
謹んでお悔やみ申し上げます。ゴローさん本当にどうもありがとう。合掌。
元・名もなき若き走り使いより


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